ペットを見送ったあと、「いつまでこの状態が続くのか」「自分はおかしいのではないか」と思う方は少なくないと思います。私もそうでした。
先に書いておきます。この記事は、その問いに「何か月で楽になります」とは答えません。調べたかぎり、それを示せる根拠が見つからなかったからです。書けるのは、よく言われている目安のいくつかに実は裏付けがないということと、私自身が3匹を見送って実際に感じたことだけです。
私はこれまでに3匹の愛犬を見送りました。2匹のミニチュアダックスフンドと、1匹のチワワです。しかも、まるで示し合わせたかのように、1年おきに立て続けに旅立っていきました。もう何年も前のことですが、今でも気持ちの整理がついていない部分があります。特に、見送り方についての後悔は、時間が経つほど大きくなっているように感じています。
もし今、ペットを亡くされたばかりで、これから何をすればいいか分からない状態でしたら、先にペットが亡くなったら最初にすることをご覧ください。安置の方法から火葬までの流れを、順番にまとめています。この記事は、少し落ち着いてからで大丈夫です。
「ペットロス症候群」という言葉について
調べていると「ペットロス症候群」という言葉によく出会います。病名のように書かれていることも多いのですが、調べた範囲では、これを診断名として扱っている公的機関や学術団体の資料は見つかりませんでした。
近い分類は実在します。世界保健機関の ICD-11 と、アメリカ精神医学会の DSM-5-TR には「遷延性悲嘆症(Prolonged grief disorder)」という項目があります。ただし、両者の基準を比較した2024年の論文によると、この診断が対象としているのは人の死別であり、ペットの喪失は基準に挙げられていません。
日本心理学会の刊行物では、ペットロスは診断ではなく「対象喪失の一つ」「悲哀の心理過程の総称」として説明されています。
ここで書きたいのは「病名ではないのだから我慢しなさい」ということではありません。むしろ逆です。診断名があるかどうかと、その人がどれくらい辛いかは別の話です。分類の有無で、自分の感じていることの大きさを測る必要はないと思っています。
「5段階で立ち直る」という話は、当てにしなくて大丈夫です
悲しみは「否認・怒り・取引・抑うつ・受容」の5段階を順に進む、という説明を見たことがあるかもしれません。ペットロスの記事でもよく紹介されています。
この段階モデルには、実証的な裏付けがないことが指摘されています。2021年に発表された査読論文(Avis, Stroebe & Schut)は、悲嘆の段階が実際に存在することを示した研究はない、という先行研究の指摘を引用しています。
同じ論文は、さらに踏み込んだ指摘もしています。段階モデルを信じてしまうことで、遺族が「自分は適切に対処できていない」と感じてしまうおそれがある、というものです。
この論文が悲嘆に関するウェブサイトを調査したところ、61.1%が今もこの段階モデルに言及していたそうです。つまり、根拠が薄いまま広く流通している説明だということになります。
順番どおりに進んでいない、怒りの段階が来ない、受容できる気がしない。そう感じていても、それは進み方がおかしいということではありません。そもそも、そういう順番があるという前提のほうが確かめられていないからです。
悲しみは、当日よりもあとからやってきました
それぞれを見送った日は、正直、仕事どころではありませんでした。3回とも早退した記憶があります。
ただし、職場には「家族の体調が」とだけ伝えました。犬が亡くなったからとは言いませんでした。嘘ではないのですが、方便です。そう言うほうが通りやすいと思ったのだと思います。同じようにしている方は、たぶん少なくないはずです。
実際に一番辛かったのは、当日というより、そこから少し時間が経ってからだった気がします。当日はどこか気が張っていて、実感が薄いというか、まだ現実として飲み込めていないような感覚がありました。
数日、あるいは数週間経った頃、ふとした瞬間に、急に寂しさが押し寄せてきます。母は特にその傾向が強く、しばらくの間、目に見えて元気がなくなっていました。
ほかにペットがいるご家庭では、その子の様子が変わることもあります。ただし食欲や活動量の低下は病気の症状でもあります。研究で報告されている内容と、まず何をすべきかは残された犬猫に報告されていることに整理しました。
「その場で泣いて終わる悲しみ」というより、「じわじわと長く尾を引く悲しみ」だった、というのが、実際に経験してみての実感に近いです。
「どれくらいで楽になるか」を示した資料は見つかりませんでした
ペットロスがどれくらいの期間で落ち着くのか、根拠のある数字を探しましたが、信頼できる情報源は見つかりませんでした。「半年から1年で」といった記述は多く見かけますが、その根拠にたどり着けません。
むしろ、長野県精神保健福祉センターが死別について作成した資料には、悲嘆がどのように変化していくのか、どう付き合っていくのかは人それぞれである、という趣旨のことが書かれています。行政の資料が期間を示していないのは、示せないからだと思います。
「もう何か月も経つのに」と自分を責める必要は、ないのだと思います。
3匹それぞれの思い出
長男|黒のミニチュアダックスフンド(18歳)
一番上の子は、黒いミニチュアダックスフンドでした。人が本当に好きな子で、人見知りというものを一切しませんでした。知らない人にでもすぐしっぽを振って、愛想を振りまくタイプでしたが、犬同士となると少し話は別で、他の犬にはそこまで愛想がよくありませんでした。性格は基本的に優しいのに、なぜか妙なところで頑固なところもありました。
運動神経はあまり良くなく、子供の頃には何度か大きな病気をして、死にかけたこともあります。それでもそのたびに何とか持ち直し、後遺症らしいものも残らないまま、最終的にはごく穏やかな老衰を迎えました。18歳、父に抱っこされている腕の中で、静かに息を引き取りました。3匹の中で、一番最初にいなくなった子です。
次男|レッドのミニチュアダックスフンド(18歳)
2番目は、レッドのミニチュアダックスフンドでした。とにかくいたずらが好きで、目を離した隙に人間のご飯を勝手に食べてしまったり、トイレを引っかき回したりしていました。困った子だったはずなのに、歳をとってからは一番手のかからない、むしろ協力的な子になっていきました。
下の子たちに対してはとても優しい兄貴分で、何をされても絶対にやり返しません。おそらく、やり返さなくても平気なくらい、自分の立場に余裕があったのだと思います。家族のことは大好きでしたが、知らない人にはとことん無愛想でした。長男を見送ってからちょうど1年後くらいに、同じように老衰で旅立ちました。こちらも18歳でした。
三男|白いチワワ(16歳)
3番目は、白いチワワでした。チワワらしい内弁慶で、家でも外でも家族や周りの犬に甘やかされて育ちました。気は強そうに見えるのに、本当のところは怖がりで、雷が鳴るたびに部屋の隅で震えているような子でした。愛嬌があって、家族にとっては完全に末っ子のポジションでした。
最期は緑内障を患っており、呼吸もあまりうまくできていなかったのだと思います。少し苦しそうな最期でした。16歳でした。「何かもっとできたのではないか」という思いは、正直なところ、今でも消えていません。
見送り方について、ずっと引っかかっていること
ここは書くのが少し重いのですが、正直に書いておこうと思います。3匹とも、火葬や供養について特に何も調べないまま、自治体に引き取ってもらう形で見送りました。お別れの時間のようなものは特に用意されておらず、ただ引き取られていくだけでした。人間の葬儀のように、骨が手元に残ることもありませんでした。
長男のときは、本当に何も知りませんでした。悲しみの中で他の選択肢を調べる余裕もなく、「みんなそうするものなのだろう」と思い込んでいた部分もあったと思います。それでも、どこかで「これで本当に良かったのだろうか」という違和感はありました。にもかかわらず、一度そうしてしまった前例があるというだけの理由で、次男のときも、三男のときも、結局同じ形を選んでしまいました。
今振り返って一番後悔しているのは、実はここです。「良いとは思っていなかったのに、変えられなかった」ということ。
念のため書いておくと、自治体に依頼することが悪いという話ではありません。費用を抑えられますし、それを選ぶ理由も人それぞれあります。私が引っかかっているのは、選んだことではなく、選んだつもりがなかったことのほうです。
立ち直るために、実際にやったこと
新しい子を迎えた
一番大きかったのは、新しい子を家族に迎えたことでした。
ただ、最初は迷いました。「代わりにするようで申し訳ない」という気持ちがあったからです。亡くなった子に対しても、これから迎える子に対しても、失礼なのではないかと思っていました。
面白いもので、その迷いがなくなってからは、決まるまでが早かったです。迷っている間は動けないのに、区切りがついた瞬間から一気に進みました。あとから思うと、迷っていた時間そのものが必要だったのかもしれません。
迎えたあとは、生活の中に新しい役割ができることで、少しずつ日常のリズムを取り戻せていったように思います。もちろん、それで亡くなった子の代わりになるわけではありませんし、そんな単純な話でもありません。
迎えるべきだとも、迎えないほうがいいとも、私には言えません。ここに書けるのは、私はこうだった、ということだけです。
写真を作った
三男のチワワについては、きちんとした形で供養できなかった分、せめてもの気持ちで写真を作り、今も実家に飾っています。
作ったのは、すぐではありません。しばらく経ってからでした。亡くなった直後は、写真を見ること自体がしんどかったのだと思います。形として何かを残せるということが、思っていた以上に気持ちの支えになりましたが、それが分かったのは、少し時間が経ってからでした。
今すぐ何かを形にしなければ、と焦らなくていいのだと思います。
供養の作法についても同じです。四十九日や位牌に宗派の決まりがあるのかを調べましたが、公式な定めは確認できませんでした。その調べた結果はペットの四十九日や供養に「決まり」はあるのかに書いています。
私の場合は遺骨が手元にありませんでしたが、返骨を受けている方であれば、手元に残すという形も選べます。納骨するのか、一部だけ手元に置くのか、自宅の敷地に埋めるのか。それぞれ何を確認しておく必要があるのかは、ペットの遺骨はどうする?に整理しました。
呼吸がしづらそうだったことは分かっていたので、「楽にしてあげられる薬か何かがあったのではないか」という後悔は、今でも時々、ふとした瞬間に顔を出します。それでも、写真を見ながら思い出を話せることが、その気持ちと少しずつ付き合っていくための、自分なりのやり方になっています。
一人で抱えられないと感じたら
私は、誰にも相談しませんでした。病院にもカウンセリングにも行きませんでした。
今になって思うのは、利用してもよかったかもしれないということです。特に病院は、行ってみてもよかったのではないかと感じています。当時はその発想自体がありませんでした。
ここから先は、私の感想ではなく、公的機関が示しているものを紹介します。私は専門家ではないので、判断の基準を自分では作りません。
受診を考える目安として、行政が示しているもの
福島県は、ペットの最期に備えることについてのページで、うつ病のチェックリストを示しています。毎日の生活に充実感がない、これまで楽しめていたことが楽しめない、以前は楽にできていたことがおっくうに感じる、わけもなく疲れたような感じがする、といった項目です。
そのうえで、症状が2項目以上、2週間以上続いているのであれば、ペットロスによってうつ病を引き起こしている可能性がある、として、県のこころの健康相談窓口を案内しています。ペットロスの文脈で受診の目安を示している自治体は、調べた範囲ではごくわずかでした。
長野県精神保健福祉センターの資料には、眠れない、食欲がないなどの不調で日常生活に支障が出ている場合には、専門家への相談を検討したほうがよい場合がある、という趣旨のことが書かれています。ただしこちらは死別全般(自死遺族向け)の資料であり、ペットロス向けに作られたものではありません。
相談できるところ
厚生労働省が「まもろうよ こころ」というページで、公的な相談先をまとめています。こころの健康相談統一ダイヤル(0570-064-556)のほか、複数の窓口が案内されています。お住まいの都道府県の精神保健福祉センターも、こころの相談を受け付けています。
ただし、ペットロスを名指しで受け付けている公的な窓口は、調べた範囲では見つかりませんでした。日本獣医師会にも相談窓口はありません。上に挙げたものは、こころの相談全般を受け付けている窓口です。
「ペットロスカウンセラー」という資格について
検索すると、ペットロス専門を名乗るカウンセラーや講座が出てきます。相談先を選ぶときのために、一つだけ書いておきます。
この分野に国家資格はありません。確認できたものは、いずれも民間の事業者や団体による認定でした。名称を独占する制度もないため、資格の有無にかかわらず名乗ることができます。
心理職の国家資格は公認心理師で、こちらは公認心理師法にもとづく登録制度です。
民間の資格だから相談してはいけない、ということではありません。ただ、資格の名前だけで判断する材料にはならないということです。
もし、あのとき知っていたら
民間のペット火葬・葬儀の業者というものがあると知ったのは、実は全部が終わったあとのことでした。当時、依頼の手続きをしたのは母でしたが、母自身、そういうサービスがあることをまったく知らなかったそうです。あとになって知ったとき、「知っていれば、違う選択肢を検討できたかもしれない」と思いました。今でも、時々そう思います。
たとえば、自宅まで火葬炉を積んだ車が来てくれる訪問火葬という形があることも、当時はまったく知りませんでした。業者をどう選ぶかにいたっては、選ぶという発想そのものがありませんでした。
実は今、我が家にはまた新しくミニチュアダックスフンドを迎えています。まだ1歳にもならない、やんちゃ盛りの子です。この子と暮らすようになってから、以前よりもずっと早い段階で「その日」のことを考えるようになりました。もちろん、まだ何年も先の話であってほしいと思っていますが、今度こそは、後悔しない形で見送ってあげたいと思っています。
もし今、ペットの見送り方について迷っている方がいるなら、まずは「選択肢がある」ということだけでも知っておいてほしいと思います。最終的に何を選ぶにしても、知った上で選ぶのと、知らないまま選んでしまうのとでは、あとになって感じるものがまったく違うはずだからです。
費用や実際の流れについては、ペット火葬・葬儀の費用相場に整理しています。事前に知っておくことは、後悔を減らすための、決して無駄ではない準備になります。
いま新しく迎えた子については、以前より早い段階で「その日」のことを考えるようになりました。何を先に確認しておけるかは、ペットとのお別れが近いとき、先にしておけることにまとめています。
よくある質問
どれくらいで楽になりますか
期間を示した信頼できるデータは見つかりませんでした。長野県精神保健福祉センターの資料も、悲嘆の変化は人それぞれである、という趣旨にとどめています。「何か月で」という目安を見かけても、根拠があるものではない可能性が高いです。
涙が出ないのですが、薄情なのでしょうか
私自身、当日は気が張っていて実感が薄いままでした。辛さが来たのは数日から数週間経ってからです。反応の出方は人によって違いますし、出方の違いが、その子への思いの強さを表すわけではないと思います。
新しい子を迎えてもいいのでしょうか
これは、私には答えられません。私は迎えましたが、最初は「代わりにするようで申し訳ない」と迷いました。迷っている間は、迷っていていいのだと思います。私の場合は、迷いがなくなってから決まるまでは早かったです。
周りに理解されません
ペットロスには、周囲との認識の違いによる孤独感という固有の要素がある、という指摘が専門誌にあります(木村, 2009)。私も職場には「家族の体調が」としか言えませんでした。言えないこと自体は、めずらしいことではないようです。
自治体に引き取ってもらったことを後悔しています
私も同じです。ただ、この記事に書いたとおり、私が後悔しているのは選んだ内容ではなく、選んだつもりがなかったことのほうです。費用や状況を踏まえて自治体を選ぶことは、何もおかしくありません。
さいごに
この記事で書けたのは、根拠が確かめられなかったことと、私が実際に感じたことだけです。あなたの悲しみがいつ落ち着くのかは、私にも、たぶん誰にも分かりません。
ただ、「こう進むはずだ」という物差しに、自分を合わせなくていいということだけは、根拠を確認したうえで書けます。それだけでも、少し楽になる方がいればと思っています。
眠れない、食べられない、日常生活に支障が出ている。そういう状態が続いているなら、一人で抱えずに、相談できるところを頼ってください。私は当時、その発想がありませんでした。
主な参考資料
- 濱野佐代子「ペットロス─コンパニオンアニマルとの別れ」日本心理学会(2026年8月25日確認)
- Treml J, Linde K, Brähler E, Kersting A. “Prolonged grief disorder in ICD-11 and DSM-5-TR: differences in prevalence and diagnostic criteria.” Frontiers in Psychiatry. 2024;15:1266132.
- Avis KA, Stroebe M, Schut H. “Stages of Grief Portrayed on the Internet: A Systematic Analysis and Critical Appraisal.” Frontiers in Psychology. 2021.
- 木村祐哉「ペットロスに伴う悲嘆反応とその支援のあり方」心身医学 49巻5号 357-362頁(2009)
- 福島県「【全ての飼い主さんへ】ペットの最期に備えましょう」(2026年8月25日確認)
- 長野県精神保健福祉センター「身近な人を亡くされた方へ」(2024年12月)
- 厚生労働省「まもろうよ こころ」(2026年8月25日確認)
- 厚生労働省「公認心理師」(2026年8月25日確認)

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