大切な家族の一員であるペットを失ったときに感じる、深い喪失感や悲しみ、無気力感などの心身の反応は、一般に「ペットロス」と呼ばれています。その日のうちに涙が止まらなくなる人もいれば、しばらく経ってからじわじわと辛さを感じる人、日常生活に支障が出るほど落ち込んでしまう人まで、その表れ方は人によってさまざまです。
私自身、これまでに3匹の愛犬を見送ってきました。2匹のミニチュアダックスフンドと、1匹のチワワです。しかも、まるで示し合わせたかのように、1年おきに立て続けに旅立っていきました。もう何年も前のことですが、今でも気持ちの整理がついていない部分があります。特に、見送り方についての後悔は、時間が経つほど大きくなっているように感じています。
この記事では、私自身の体験をもとに、ペットロスの実際の経過や、立ち直るためにしたこと、そして「もっと早く知っておけばよかった」と感じていることを、正直にお伝えしたいと思います。今まさに別れと向き合っている方や、これから向き合うことになるかもしれない方にとって、何かの参考になれば幸いです。
3匹それぞれの思い出
一番上の子は、黒いミニチュアダックスフンドでした。人が本当に好きな子で、人見知りというものを一切しませんでした。知らない人にでもすぐしっぽを振って、愛想を振りまくタイプでしたが、犬同士となると少し話は別で、他の犬にはそこまで愛想がよくありませんでした。性格は基本的に優しいのに、なぜか妙なところで頑固なところもありました。運動神経はあまり良くなく、子供の頃には何度か大きな病気をして、死にかけたこともあります。それでもそのたびに何とか持ち直し、後遺症らしいものも残らないまま、最終的にはごく穏やかな老衰を迎えました。18歳、父に抱っこされている腕の中で、静かに息を引き取りました。3匹の中で、一番最初にいなくなった子です。
2番目は、レッドのミニチュアダックスフンドでした。とにかくいたずらが好きで、目を離した隙に人間のご飯を勝手に食べてしまったり、トイレを引っかき回したりしていました。困った子だったはずなのに、歳をとってからは一番手のかからない、むしろ協力的な子になっていきました。下の子たちに対してはとても優しい兄貴分で、何をされても絶対にやり返しません。おそらく、やり返さなくても平気なくらい、自分の立場に余裕があったのだと思います。家族のことは大好きでしたが、知らない人にはとことん無愛想でした。長男を見送ってからちょうど1年後くらいに、同じように老衰で旅立ちました。こちらも18歳でした。
3番目は、白いチワワでした。チワワらしい内弁慶で、家でも外でも家族や周りの犬に甘やかされて育ちました。気は強そうに見えるのに、本当のところは怖がりで、雷が鳴るたびに部屋の隅で震えているような子でした。愛嬌があって、家族にとっては完全に末っ子のポジションでした。最期は緑内障を患っており、呼吸もあまりうまくできていなかったのだと思います。少し苦しそうな最期でした。16歳でした。「何かもっとできたのではないか」という思いは、正直なところ、今でも消えていません。
見送り方について、ずっと引っかかっていること
ここは書くのが少し重いのですが、正直に書いておこうと思います。3匹とも、火葬や供養について特に何も調べないまま、自治体に引き取ってもらう形で見送りました。お別れの時間のようなものは特に用意されておらず、ただ引き取られていくだけでした。人間の葬儀のように、骨が手元に残ることもありませんでした。
長男のときは、本当に何も知りませんでした。悲しみの中で他の選択肢を調べる余裕もなく、「みんなそうするものなのだろう」と思い込んでいた部分もあったと思います。それでも、どこかで「これで本当に良かったのだろうか」という違和感はありました。にもかかわらず、一度そうしてしまった前例があるというだけの理由で、次男のときも、三男のときも、結局同じ形を選んでしまいました。
今振り返って一番後悔しているのは、実はここです。「良いとは思っていなかったのに、変えられなかった」ということ。
悲しみは、当日よりもあとからやってくる
それぞれを見送った日は、正直、仕事どころではありませんでした。3回とも早退した記憶があります。ただ、実際に一番辛かったのは、当日というより、そこから少し時間が経ってからだった気がします。当日はどこか気が張っていて、実感が薄いというか、まだ現実として飲み込めていないような感覚がありました。数日、あるいは数週間経った頃、ふとした瞬間に、急に寂しさが押し寄せてきます。母は特にその傾向が強く、しばらくの間、目に見えて元気がなくなっていました。
「その場で泣いて終わる悲しみ」というより、「じわじわと長く尾を引く悲しみ」だった、というのが、実際に経験してみての実感に近いです。
立ち直るために、実際にやったこと
一番大きかったのは、新しい子を家族に迎えたことでした。もちろん、それで亡くなった子の代わりになるわけではありませんし、そんな単純な話ではないのですが、生活の中に新しい役割ができることで、少しずつ日常のリズムを取り戻せていったように思います。
三男のチワワについては、きちんとした形で供養できなかった分、せめてもの気持ちで写真を作り、今も実家に飾っています。形として何かを残せるということが、思っていた以上に気持ちの支えになりました。
呼吸がしづらそうだったことは分かっていたので、「楽にしてあげられる薬か何かがあったのではないか」という後悔は、今でも時々、ふとした瞬間に顔を出します。それでも、写真を見ながら思い出を話せることが、その気持ちと少しずつ付き合っていくための、自分なりのやり方になっています。
もし、あのとき知っていたら
民間のペット火葬・葬儀の業者というものがあると知ったのは、実は全部が終わったあとのことでした。当時、依頼の手続きをしたのは母でしたが、母自身、そういうサービスがあることをまったく知らなかったそうです。あとになって知ったとき、「知っていれば、違う選択肢を検討できたかもしれない」と思いました。今でも、時々そう思います。
実は今、我が家にはまた新しくミニチュアダックスフンドを迎えています。まだ1歳にもならない、やんちゃ盛りの子です。この子と暮らすようになってから、以前よりもずっと早い段階で「その日」のことを考えるようになりました。もちろん、まだ何年も先の話であってほしいと思っていますが、今度こそは、後悔しない形で見送ってあげたいと思っています。
もし今、ペットの見送り方について迷っている方がいるなら、まずは「選択肢がある」ということだけでも知っておいてほしいと思います。最終的に何を選ぶにしても、知った上で選ぶのと、知らないまま選んでしまうのとでは、あとになって感じるものがまったく違うはずだからです。
費用や実際の流れについては、次の記事でもう少し具体的に整理しておこうと思います。事前に知っておくことは、後悔を減らすための、決して無駄ではない準備になります。

コメント